4.イカの一生

イカは前節で述べたとおり雌雄異体ですから、交尾して卵に受精させなければなりません。しかしイカの場合、真の交尾を行わなくても卵を受精させることができます。雄の精子は付属器官で作られる精包という、つま楊子ぐらいの大きさ、太さのカプセルにつめられています。それは漏斗から外に出るのですが、カプセルの中には精子の塊はバネ、それに相手にくっつくセメント体という粘着器が仕込まれています。雄は雌に抱きつきこの精包の引金を引い てバネによってとび出す精子の塊を雌の体に射ち込むのです。この時うっかり堅い環のはまった吸盤で精包を持とうものなら雌に届くまえに引金にふれて爆発してしまいます。それゆえ、これを雌に渡す腕は特別な構造になっていて、雌の体に届くまで精包は発射しないようになっています。その特別な腕は、コウイカなら左第四腕、ヤリイカも同じ左第四腕、スルメイカは右第四腕、ミミイカなどは左第一腕というふうに種によってどの腕か決まっていますし、その構造もいろいろあります。
イカのように精子を精包につめて雌に渡す方式は、他の動物にもあります。身近なものではクルマエビやイモリなどもそうです。イカの場合、日本語ではわざわざ「交尾」ではなく「交接」という語を用いますが、英語ではどちらも区別なくコピュレーションといいます。雌は雄から受け取った精子を産み出す卵に会わせないといけないので、精子塊はなるべく卵の出る道筋付近にあるとよいのです。カナダ産の「まついか」やドスイカでは、精子塊は雌の外套腔の中、輸卵管のすぐ出口のところに射ち込まれています。スルメイカでは唇のまわり、ヤリイカでは口を囲む膜の上だから、漏斗を通じて出てくる卵とここら辺で精子が出会うのでしょうか。しかし人間の立場からは考えられない処に精子を貰うイカもいます。例えばホタルイカなどは頸の付け根、それも背中側だし、ツメイカは外套膜の筋肉に深く切り傷をつけその中に植え込まれます。
イカの種類によっては交接直後、あるいは他の種は何日かおいてから卵を産みます。沿岸でよくみられるヤリイカ、ケンサキイカ、アオリイカなどは寒天の指状の袋に入れられていますが、コウイカなどはひと粒ずつ丸い袋に入れられ、それらは集まってブドウの実のようにもみえます。沖合にすむ種の卵で知られているものは多くありません。スルメイカは直径8Oセンチメートルぐらいになる巨大な寒天質のボールの中に何千個の卵がちりばめられています。ホタルイカ卵は卵粒が一列に並んだ細い糸状のケースに入っています。クラゲとまちがえられていたソデイカの卵塊は、海の表面近くをふわふわと浮いている長さ一・五メートル、直径三〇センチメートルぐらいの寒天質のソーセージです。
卵から子供がかえるのは沿岸にすむ種は長く一か月から三か月以上かかるものもありますが、沖合性種は、一週間ないし十日ぐらいです。イカは卵からかえった時はもうイカの形をしています。青虫、蝿、チョウのようないわゆる変態もしないし、従って幼生期はありません。沿岸で産卵するヤリイカ類やコウイカ類はかなりしっかりした形で卵から出てきますが、沖合性のホタルイカやスルメイカのようなものは、それらに比べるとちょっと未熟児ですが、前者は大卵少数精鋭主義で、後者は小卵多数主義で、海流に乗ってひろく伝播しようという戦略をとっています。
中深海にすむイカもそうで、親になると暗黒の深海にいるのに、卵やふ化したての子供は海の表面近くにちらばっています。それは海表面の方が子供の口に合う小さいえさ(プランクトン)が多いということばかりでなく、海流の動きが活発で、子供も遠く散らばることができるメリットがあるからです。しかしこういう仲間は大きくなるとだんだん親のすむ深い方に移動し、それは「個体発生的下降」と呼ばれます。
いっぽうもともと表層性のものは、育つにつれ遊泳力をまし、群を作って回遊するものもあります。スルメイカなどは南西日本で生まれたものが、黒潮と対馬暖流の力もかりて、北上し遂には千島列島まで達して、再びもとの産卵場所へ南下回遊しますが、それを一生一年間でやり遂げるのです。
スルメイカのように日本列島のまわりに多い時では70万トン近くもとれたことがあるくらいですから、いかにたくさんいるかがわかりますが、すべての群が一斉に卵から生まれて、一斉に回遊し、一斉に死ぬのではありません。発生期を中心にして「冬生まれ」「秋生まれ」「夏生まれ」などの発生群にも分かれているし、また、群の中でも発生の時期や場所にもずれがあります。
イカ釣りはたいてい集魚灯で集めて釣るので光が好きかというとそうではありません。多くのイカは夜行性で昼間はじっとしています。(もちろんダイバーが、昼間泳いでいるのをみかけるアオリイカとか、海上をグライダーのように飛翔することが知られているトビイカなど昼間も活動している例外的なイカもあります。)
先頃まで流し網で大量にとられて「さきイカ」の原料になっていたアカイカなどは日中600メートルもの深海にいますが、日没と共に上がって来ることが、最近のテレメトリーの進歩でわかってきました。それからみるとイカは集魚灯の光が好きで来るのではないことは明らかで、事実イカがよく釣れるのは船の陰になったところで、光芒のまっただ中はかえって避けているようです。
イカ同士は前節で述べた「良い目」で認識し連絡し合うようです。ホタルイカの発光などは仲間同志のシグナルでしょう。もっとも発光の第一義的な意味は、自分が現在いるところの照度と発光の強さを同調させて自分の身を隠すことと、強力閃光で捕食者の目くらましをすることですが、ホタルイカ類のごく近似種同志でも発光器の配列、種類の組み合わせや数が異なるので、これは認識シグナルであることがうなずけます。
体色変化によるボディランゲージも目を通じての通信手段と考えられます。しかしイカの目は色を識別できないはずですから、それは人間の目に映る体色よりも、明暗のパターン認識によるものかもしれません。 |